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エッセイ・コンクール

第3回エッセイ 過去の受賞作品を紹介いたします

最優秀賞

究極の親子コミュニケーション 福岡亮治【京都府】

 私は6歳の娘と親子漫才をやっている。親子漫才といってもプロのように巧みな漫才をするわけではない。お風呂や食卓など普段の家族団欒の時間を使って、言葉の掛け合いを行っている。親子漫才のきっかけは、娘が2歳の時。「私もまんじゃい(漫才)したい」私は同僚と職場の飲み会で披露する漫才を自宅で練習していた。そして、これはその同僚が帰った後の娘の一言であった。聞けば、「パパが楽しそうやったから」という娘。確かに同僚との漫才の練習の時の私は終始笑顔であった。子どもは親の背中を見て育つというが、まさか漫才をしている背中も見ているとは…。ということで我々の親子漫才が始まった。まずは同僚と飲み会用に考えたネタを娘とやってみる。「完璧とは言えないがセリフを覚えている!」。「どうせ飽きるだろう」と思っていたが、「パパ、もう一回やろ」と何度も何度も漫才をしたがる娘。私もなんだか楽しくなってきた。気付けば妻が笑っている。その妻がビデオカメラで撮影を始め、お客さん兼カメラマンとなった。娘の提案でソファーを舞台に見立てて漫才を行う。これで我が家にちょっとした漫才のステージが完成した。それから1年。3歳になった娘はまだ漫才を続けていた。さすがに1年間もやるとある程度の形になってくる。家族団欒の時間を使ったお遊びのような親子漫才であるが、「ここまで娘が頑張ったのだから」ということで漫才の大会に申し込むことにした。「漫才の大会に出場?」と近所の人たちは不思議そうに言うが、私からすれば、ピアノを習っている子どもがピアノ発表会に出場したり、野球をしている子どもが野球の大会に出場したりするのと同じ感覚。結果は、もちろん予選落ち。しかし、大会に向けての練習は我々親子にとってかけがえのないものとなった。お風呂で練習、食卓で練習、寝る前のお布団で練習。家の中でずっと娘と向き合ってきた。練習をするたびに上達する娘とそれを褒めちぎる私。本来ならば、私か娘に飽きがきてもよいものだが、私には「娘の成長をもっとみたい」、娘には「もっとほめられたい」という気持ちがあり、その気持ちが相乗効果を生み出し、飽きるどころかドンドン楽しくなってきた。それからさらに3年が経ったが、今も小学校1年生になった娘と漫才を続けている。小さな規模ではあるが、漫才の大会で優勝できるくらいの実力になった。私にとって娘は、大切な1人目の子どもであり、最高の漫才の相方となった。先日、娘の小学校の授業参観を見に行った。1人でも大きな声で堂々と発表をする娘の姿を見て感動した。漫才をすることで娘は、人前で堂々と話すことができるようになっているのである。4年間の親子漫才への取組みは間違いではなかったと確信した。親子漫才は、我々にとって最高の家庭教育であり、究極の親子コミュニケーションとなっている。

【受賞の言葉】
 漫才を通した育児という変わった取組みにもかかわらず素晴らしい賞をいただき大変嬉しく思っております。現在は4歳の弟もお姉ちゃんの楽しそうな姿を見て「僕もやりたい」と言い始め漫才を特訓中です。今回の受賞を励みにこれからも妻やたくさんの人たちに助けをいただきながら育児を頑張りたいと思います。


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