Column
vol.1
「運動は健康のために良いと分かっているけれど運動できない」ー。
多くの人が悩んでいる現状に対して、
東京大学の古井祐司教授にお話を伺いました。
古井 祐司さん(ふるい・ゆうじ)
東京大学 政策ビジョン研究センター
データヘルス研究ユニット 特任教授
医学博士
専門分野:予防医学、保健医療政策
30代、40代の人が運動不足に陥りがちな状況は
なぜ起こるのでしょうか。
古井祐司(以下古井)“働き盛り世代のわな”という言葉があります。仕事や子育て、親の介護などが優先され、自分自身の健康が二の次になりがちな状況を表します。働き盛りの世代は健康に関心がないのではないかと、世の中で言われますが、実際に調査をすると、実は高齢者よりも30代、40代の方が運動をしたいというニーズが高いことが分かります。優先度が低いことが問題の本質だと思います。
古井先生は予防医学がご専門ですね。
古井はい。サラリーマンの多くは毎年健診を受診してはいますが、健診を受けた方の7割は自身の健診結果を知らない、覚えていないということが調査結果で分かりました。働き盛り世代にとって、自身の健康づくりの優先度を上げること、まして運動を始めることにはハードルがあることを感じました。
優先度を高めることが重要だということですね。
古井私は内閣府で主に社会保障分野の専門委員を務めています。骨太方針2016では、運動の優先度を上げていくための意識啓発と、日常の生活動線の中で、運動をしやすい環境をつくる健康施策が掲げられました。意識を高めることに加えて、環境整備が大切だと思います。
例えば、どういう方法がありますか。
古井企業の健康保険組合では、健診結果で少し太ってきたとか、血圧が高かったという時に、運動などの保健指導を提供する制度があります。それに加えて、最近は健診前に、ウオーキングキャンペーンを行うこともあります。参加者は結構いて、皆さん実は健康に関心をもっていることがうかがえます。健診前にお酒を断つ方がいるように、健診の前後で健康が気になっている時に働き掛けをするのは効果的です。また、サラリーマンの場合、ちょっと見た目に太ってきたことなどが、契機になる場合もあります。
環境整備についてはどうですか。
古井日常生活の動線に乗せていくというのは、大事だと思っています。地方で問題になるのは、都市部に比べて圧倒的に歩かない、ということです。電車やバスではなく、自家用車で動くことが背景にあります。そういう場合、通勤時に車を駐車する場所の工夫や、歩道を整備して、商店街に行くと自然にウオーキングをしてしまうという街にするのも一案です。
そうした街づくりを行っているところはありますか?
古井新潟県の商店街で車道を1車線にして一方通行にしたところがあります。車の出入りを狭め、空いた一車線を歩道にしました。最初は不便だと文句を言う人もいたそうですが、そこにお店を出したり、歩数計を配って商品券付きのウオーキングキャンペーンをしたところ、みんなが街を楽しみながら、かつ自然に歩くようになりました。すると、住民からも新しい健康づくり、まちづくりの提案が上がったそうです。その地域の環境や資源に合わせ工夫が大切ですね。
商店街の活性化は全国的にも問題になっていますが、
それとウオーキングを組み合わせたアイデアですね。
古井ほかにもあります。東京都東久留米市のケースでは、人口10万人ほどのベッドタウンで街や商店街が比較的点在していて、商店街にはいつも活気がある訳ではありませんでした。大型のショッピングモールやスーパーにパッと行って帰ってしまいがち。そこで、市が始めたのが「健康マイレージポイント」です。ウオーキングなどをするとポイントが付き、商店街の品物やサービスを安く買ったりできる。役所の人だけではなく、むしろ健康づくり推進員など住民が中心になり、行きつけの店に交渉し、協賛をお願いした。床屋さんだったら、マイレージポイントを持って行くと、5分間無料のマッサージをするとか、喫茶店のコーヒーのお代わりを無料にするとか、協賛のやり方を住民と商店街の人がみんなで考えました。
一石二鳥ですね。
古井みんなで考えて始めたのだから、みんなで一緒に歩いて行こう、ということになる。住民が自発的にやったことと、ウオーキングだけだと楽しくないので、商店街に行って何か物を買い、みんなで話もできる。楽しみと街の活性化、運動、健康の増進、いろいろな効果があります。「健康増進×地方創生」ということが最近言われ、人が外に出て運動をすると元気になり、コミュニケーションが広がって物が売れる。立体的な街の活性化は、運動や健康づくりと親和性があります。
職場についてはどうでしょう。
古井毎日、会社に通っているだけで、歩数が増えたとか、体調が良い、仕事にも活気が出たという職場であると良いですね。運動とカロリーの関係を具体的にイメージしやすいように、例えば階段に“ここまで何キロカロリーでバナナ1本分”のようなステッカーを貼って、2、3階であればエレベーターに乗らないで階段を使うような動線をつくる。今後、IoTが進化すると、帰りに社員証で出口を通る時に、「今日の歩数」が示されて、あまりに少ない歩数だと“明日はもっとがんばれ!”みたいな応援メッセージが流れてしまう(笑)といった環境整備も考えられるかもしれません。
昔からラジオ体操をみんなでやる企業などがありますね。
古井よく製造業などで毎朝やっていますね。いきなり音楽に合わせて体を動かすのはやりにくいので、まずはあいさつ、握手から始める会社もあります。すると、田中君は月曜の朝は疲れている、ことに気が付きます。土日に子育てをがんばっているのだね、といった会話も始まる訳です。
コミュニケーションをよくする効果も
期待できそうです。
古井ラジオ体操以外でも、日常の職場の中で、運動やちょっとしたストレッチをやりやすい環境をつくる。先ほどのウオーキングキャンペーンで言えば、よく健保組合や人事担当者が歩数計を配ったりしますが、そういう時もチーム制や部署単位にすると、一人で勝手にやるより取り組みやすい。誰かと一緒にエントリーしてください、という方法もあります。メタボ健診の後に特定保健指導を行いますが、ある会社では必ず応援団をつけるようにしています。応援団がつくと、本人のモチベーションが上がって脱落しにくくなります。
誰かが見ていてくれると励みになりますね。
古井中小企業の場合は、大企業と違って小さな単位なので、毎週社員の前で社長が朝礼をしたりします。ある会社ではメタボな男性が多く、朝、点呼する時に体重計に乗ってもらっています。その時に、1カ月間で1キロ以上減った人に手を挙げてもらったら、5〜6人の手が挙がりました。「じゃあ、田中くん、どうやったか教えて」と経験談を話してもらうそうです。なかなか一人では運動は継続しません。運動が続くかどうかは、職場に行くだけで自然に歩いている、ラジオ体操やストレッチが日課になっているとか、トップやリーダーが取り組みを気に掛けてくれている、そんな職場の環境づくりが大切だと思います。
最近、デスク業務で座りっぱなしの弊害が問題になっています。
古井長時間、じっとしていればいるほど死亡率が高いという海外論文が出ました。なるべく体を動かした方がいいと言われています。例えば、1時間に1回パソコンから音楽が鳴って、“1時間たちました”と合図する。そうすると、お茶を飲んで休憩する、ストレッチをする。これだけでも違います。
家庭でできることはありますか。
古井子どもがいる家庭では、子どもから親など、家族への動線が考えられます。文部科学省の学習指導要領では、小学生と中学生の保健の授業に、健康や生活習慣病予防が入っています。体のつくりや病気の予防に関する知識も重要ですが、家庭での食事や家族と一緒に体を動かすといった点も重視していくと、子どもの健康づくりが日常になりやすいと考えています。
それは効果がありそうですね。
古井既にある県では、保健を授業参観で行って、子どもの健康に加えて、家庭での食事や飲酒量をチェックするといったステップにもなったそうです。家族からも、日々の健康への意識が高まった、子どもと一緒に取り組みたいと思った、そんな感想が寄せられたそうです。子どもへの健康教育が大人への動線にもなり得ます。
実際、親世代の運動不足は深刻なのでしょうか。
古井全国調査にあるように運動量は必ずしも十分ではないと思います。ただ、仕方がない部分もあります。車社会になり、上の階に1階上がるにも、エスカレーターやエレベーターが使えたりするわけです。先日も東京駅の地下鉄で、階段には人が少ないのに、エスカレーターに数十メートル人が並んでいる光景を見ました。階段が嫌だというより、当たり前のようになんとなくエスカレーターに並んでしまうという動線になっています。あえて、エスカレーターははずれの位置に持ってきて、真ん中は階段だけにするとか、駅の構造自体を考えることも必要です。技術革新や乗り物など、いろいろなものが発達したおかげで、歩かなくて済むように設計されていった結果、私たちはどんどん歩かなくなってしまいました。
毎日の中で、運動する時間を捻出するのはなかなか難しそうですが。
古井確かに毎日ジムやプールに行くのは難しい。例えば、通勤や営業などで外出する際、5センチ歩幅を広げるという方法があります。5センチ広げるだけでも、お尻の周辺の筋肉がいつもより収縮します。また、姿勢が悪いとうまく大股で歩けないので、歩く意識が高まります。そんな意識になった人は、エスカレーターに乗らなくなる、そんな行動変化が起こってきます。
健康は、私たち個人の問題だけでなく、社会問題でもありますね。
古井日本は世界一、少子高齢化のスピードが早い国です。日本が最初に課題に直面します。社会保障の観点からは、二つの構造的な課題があります。一つは人口、特に現役世代の人口が減って、支える力が弱くなること。もう一つは、健康リスクが上がり、生産性が落ちることです。 支える側の人が減るので、当然社会保障の負担が重くなります。若年から高齢まで元気でいた方がコストは減る、また社会や企業を維持する生産性も保持できるので、健康づくりや予防が今まで以上に大事だ、ということになります。
私たちの未来は、今後どうなっていくのでしょう。
古井現在も働く人の平均年齢が、どんどん上がっています。この40年で、サラリーマンの平均年齢は7歳上がりました。昔35歳だったのが、今42歳になっています。職場の平均年齢が7歳上がると、どのぐらい生産性が落ちるかというと、半分以下に落ちています。健康リスクもちょうど2倍高くなりました。もちろん、技術革新などのおかげで付加価値が必ずしも下がった訳ではないと思います。そういう中で、職場の平均年齢が上がっても、できるだけ生産性を落とさないようにしなければならない。60代・70代や、女性が子育てしながら働いてほしいという社会のニーズも高まっており、社員の健康に投資をすることが、会社を運営する上で不可欠となります。
少子高齢化に生産性低下、日本は課題が山積です。
古井健康と生産性がリンクしているというのは、欧米との共同研究でも分かってきました。働き盛りが求められるというのは、突き詰めれば付加価値です。今まではあたま数がいましたが、今後はそうはいきません。100人でやっていたところを、80人とか50人でやらないといけない。そうすると、指示されたことをしっかりと着実にやるだけの人ではなく、自分から考えて次にどうすればいいか、自主性や創造性が求められています。
今後、企業の健康経営の役割は大きいですね。
古井運動をすると、創造性の領域である右脳が活性化します。すると、仕事に対する感度も高まります。運動をして体を動かすということは、本業での創造性も上げることにつながるので、お勧めだと思います。じっと座って仕事をして、計算や理論の領域を担う左脳ばかり働かせていると、言われたことをやるにはいいですが、それでは日本のイノベーションはありません。それに、健康経営をする会社は、どんどん明るくなるのを実感しています。話をしていても、以前よりもたくさん提案してくれたりします。運動と仕事も親和性があるのではないかと思います。
スミセイ“Vitality Action”について、
先生はどのように思われますか。
古井二つの点で高く評価しています。一つは“大切な人と一緒に運動する”というコンセプト。私たちの研究でもそうですが、一人で何かをする場合と、家族や同僚など仲間と一緒にやる場合では、2倍近く継続率が違います。誰かと一緒にやれば、モチベーションが上がったり、より続けやすくなったりすると思います。 二つ目は、人間は頭で分かって動く場合と、まずやってみたら楽しくて動く場合があります。スミセイのスポーツイベントは、「参加してみたらすごく楽しかった」「子どもも喜んだ」「じゃあ、次にどうしようか」という、流れを生む効果があります。この二つの仕掛けは、理にかなっていると思います。
親子で運動を継続するためのコツのようのものはありますか。
古井気軽にできることと楽しいこと、この二つがポイントだと思います。性別や年齢によって取り組みやすい運動も違います。それぞれのライフステージに応じたものがあり、今回のスミセイ“Vitality Action”は、バドミントンだったり、サッカーだったり、走り方だったりと、小学生とその親が取り組みやすいものが選ばれています。 運動習慣については、“きっかけ”と同じくらい大切なのが、リマインドです。続けるためには最初の1週間が勝負で、そこを乗り越えると習慣となり、継続につながります。それを知っていれば、親子で知恵を出し合って運動カレンダーを作るなど、続けるための仕組みをつくってみてはいかがでしょうか。