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私には、一男一女のほかに、もう一人の息子がいる。うち(内)の息子に対し、彼は外息子。息子の小学校以来の友人でもある。高校生のころ、息子が私を「規子さん」と呼ぶようになると、外息子までがそれを真似した。「規子さん、親に内緒のバイトをしたいから、制服を洗濯してくれませんか?」─それから、放課後にやってくる彼に、アイロンを当てたアルバイト用制服を渡す日々が始まった。
そんなある日、苦手な国語が赤点だったと告げた彼。学業を疎かにするようでは、バイトの協力はできないと言うと、「追試で頑張る」と宣言し、しばらく姿を見せなくなった。久し振りにやって来た彼は、満面の笑みで、壁に八十五点の国語の答案用紙をピンで止めた。それは、堂々のバイト許可証でもあった。
後になって彼が打ち明けたのは、親に反対されそうな学校に進学したいので、学費を作るためのアルバイトだという。さらには、勘当されたらここの家に下宿させてほしいと、悲壮感満載の告白。「ご両親と話し合って、その結果を報告においで」と、思い込みだけで暴走している彼に、ストップをかけた。
その数日後、「親は、オレのことをちゃんと考えていてくれたから…」と、私は彼に洗濯係を解任されたのだった。
こんなふうに外息子とは、冷静に向き合えるのだが、我が子となると、なかなか難しい。だから、我が息子が、よその家庭の外息子になっていると知った時、肩の荷が少しばかり軽く感じられた。
息子は、アルバイト先のうどん屋さんで可愛がられ、家族の一員のようになっていた。ところが、高校三年の五月の連休明け、バイトをクビになったといって帰ってきた。「これからは受験勉強に専念しなさい」と、おかみさんに言われたという。おかみさんにも三人の子どもさんがいて、たぶん親の気持ちになって、ガツンと言ってくれたのだと思う。その言葉は、息子の胸に素直に落ちたようだった。私が言ったら感情的になったに違いなく、きっと反発しただろうと思うと、おかみさんの外息子になれたことに感謝した。
その後、息子は、県外の大学に進学した。帰省すると、真っ先に行くのがうどん屋さん。それは少し寂しい気もしたが、考えてみると、外息子も同じようなことをしていた。
就職活動中の外息子は、面接を受けた日に、自宅より先に我が家に寄って、さんざん弱気な言葉を吐き出し、「ヨシッ!」と気合を入れて帰っていった。我が息子にとって「ヨシッ!」の場所が、うどん屋さんだったのだ。
子どもだって、親に見せたくない姿がある。だからこそ、家以外に深呼吸をして、仕切り直しをする場所が必要なのだと思う。
現在は、社会人になった二人の息子たち。多くの立派な大人の外息子として、大きく成長していってほしいと願っている。
【受賞の言葉】
平凡な生活をしている私が唯一誇れることは、子どもたちを気合いを込めて育て、無事社会に送り出したことです。そんな子育ての1コマを書いたら、大きなご褒美が届きました。いま思えば、子育ては、ほんとうにスリリングで楽しい一大プロジェクトでした。