高橋由伸氏×
高田幸徳 特別対談

公開日:2022年8月4日

高橋由伸氏×(代表取締役社長)高田幸徳高橋由伸氏×(代表取締役社長)高田幸徳特別対談

高田幸徳社長が読売巨人軍前監督の
高橋由伸さんを迎えての特別対談。
高田社長は、高橋さんから監督時代の
本音や多くのエピソードをお聞きし、
高橋さんも高田社長の人財共育の考え方に
大きく頷いていました。

選手時代の思い出

高田 私は高橋さんが現役だったころの、ど真ん中の世代です。高橋さんが開幕戦の1番バッターで初球を本塁打した試合が印象に残っています。
高橋 あの試合は、三浦大輔投手(当時:横浜ベイスターズ)と対戦するのが分かっていましたので、過去の対戦から相手の心理を推測し、何がくるか予想しました。予測と準備と結果。思い通りにいった打席でした。
高田 高橋さんにとって、印象深い球場はありましたか。
高橋 球場の雰囲気が大事だなと思ったのは、広島のマツダスタジアムでした。全体が真っ赤なカープファンで埋まる、うまいつくりをしていました。あの球場の雰囲気に圧倒されました。

親子でスポーツを楽しむ
スミセイ“Vitality Action”

高田 住友生命では、いろいろなスポーツを親子で楽しむスミセイ“Vitality Action”を実施しています。これは、当社の110周年記念事業として始め、これまで123回開催し、6,377組、13,605名の親子に参加していただきました。講師にはトップアスリートを招き、楽しむこと、頑張ること、続けることを教えてもらっています。
高橋 僕も小さい頃は父や母にボールを投げてもらって打ったり、兄たちに練習や試合を見に来てもらったりと、家族に支えられて野球をやってきました。
高田 今は子ども教室などで教えられているそうですが、何を伝えていますか。
高橋 僕自身は子どもの頃、プロ野球は身近ではなく、テレビの世界だけのものでした。僕らが出かけて行くことで、子どもたちにプロ野球を身近に感じてもらい、早くから目標にしてもらうようにすることが大事だと思っています。
高田 子どもたちは高橋さんの現役時代を知らなくても、親の世代はすごい選手だと知っています。そういった選手と一緒に体を動かし、一言声を掛けてもらえると頑張れる。その空間が子どもたちにとって一生の宝物になるし、今後の人生で頑張れる心の灯(ともしび)になります。

サステナブルな社会の実現へ
ウェルビーイングとは

高橋 野球界では、バットの原料になるアオダモの植樹を継続的にやっています。また、使わなくなった用具を集めて、用具が不足している地域や国に届けています。
高田 野球界でもさまざまなことに取り組まれているのですね。住友生命では、人生100年時代に、生活の支えとなる生命保険という事業を通じ、サステナブルな社会の実現にいかに貢献するかを課題としています。ただ単に健康的に生きるということだけでなく、精神的、社会的にどうよりよく生きていくのか、一人ひとりの多様な「よりよく生きる=ウェルビーイング」に寄り添っていきたいと思っています。人生100年時代、「よりよく生きる」というところでは、高橋さんは今後、どのようなことにチャレンジしますか。
高橋 21年間、野球の現場にいましたが、その間は同じ目線でしか物事を見ていませんでした。今は現場を離れ、違う立場から野球を見ていますが、いろいろなことを吸収し、再び野球界から求められる人間になりたいと思い、自分を磨いています。
高田 もし巨人以外の球団から監督のオファーが来たらどうしますか。
高橋 とても嬉しいですね。人の期待に応えること、野球界から必要とされることを目標に頑張っているので、それが認められた証しでもあります。今度は当然結果を残さなければなりません。今の子どもたちは大谷翔平選手(米大リーグ、ロサンゼルス・エンゼルス)や、村上宗隆選手(東京ヤクルトスワローズ)など、チームより選手に憧れていると感じます。チームとして勝ち続けることだけではなく、魅力ある選手を育てることも、プロ野球界には大事だと思います。

リーダーの使命、決意
「人財共育」の大切さ

高田 住友生命に入社して30数年で社長になりました。社長の役目は何かといろいろと考えましたが、社長一人でできることは限られていますし、多くのメンバーは部下でありながら、一緒に働いてきた仲間でもあるため、上司、部下という立場を越えて共に育つ「共育」を掲げました。上司が部下に教えるだけではなく、部下や若い人の方が知識があるものについては、役職や年次に関係なく教わり、共に学んでいく。私自身も共育を行っていますので、まだまだ発展途上ですし、わくわくしています。社長としての私の役割は、まず、従業員の力をどのように高めていくか、よりよい方向に向けるかだと思っています。その上で、お客さまに貢献していく。この両輪が私の使命です。
高橋 高田さんは実際に社長をやられてみてどうですか。
高田 就任当時はコロナ禍ということもあり、これまでの先輩たちとは全く違う環境であったため無我夢中で目の前のことをやったという感じでした。住友生命は今年で115年、住友財閥時代から遡ると400年の歴史があります。2年目は、このグループの歴史をもう1回勉強し、温故知新、先人たちが何を考えてきたか、そこから学ぶことも大切だと感じています。
高橋さんが監督になった時の、決断のポイントを聞かせてください。
高橋 現役の最後、どうやって次のステージに進んでいこうかと考えていたところ、監督就任の話をいただきました。これまで期待に応えたいという思いでずっと野球をやってきたので、球団は監督という新たな役目で期待を寄せてくれたのだと思い、引退と監督就任を決断しました。何とかその期待に応えたいともがいた3年間でした。
高田 監督になって気づいたことはありますか。
高橋 自分が見ていた監督像と、実際に監督になってみるのとでは、かなり違いました。育成という点では、1年目は自分が経験してきたことをあてはめることしかできず、1軍を経験させることが若手の成長に繋がると思っていましたが、なかなかうまくいきませんでした。やがて、若手1人だけで1軍にいると気後れしてしまう、2人、3人同時に1軍で競わせると、普段どおりの力が発揮できることに気づきました。これが監督になってから学んだことです。プロ野球は目の前の試合に勝つことが目標ですが、同時に選手を育てなくてはなりません。優勝はできませんでしたが、勝てなくても今やるべきことはあると学びました。
高田 就任時に人の価値、人の財を共に育んでいくことで、企業は繁栄するとの想いから「人財共育本部」を立ち上げ、私が本部長に就きました。チャレンジしてくれる人、変化を受け入れてくれる人が増えてきました。高橋さんのお好きな言葉「置かれた場所で咲きなさい」を、私どもは「使命感」という言葉に置き換えています。与えられた使命を果たすことは、人間としても職業人としても冥利に尽きます。
高橋 人を育てるということは、自分も育つということ。それは僕も感じており、その考えが正しかったと再確認することができました。ありがとうございます。
高田 一人ひとりに必ず役割があります。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を実行すれば、素晴らしい企業、素晴らしい社会になると思います。

高橋 由伸

高橋 由伸たかはし・よしのぶ

1975年4月3日生まれ、千葉県出身。慶大で23本塁打の東京六大学記録を樹立。巨人入団後は中心選手として活躍し、ベストナイン2度、ゴールデングラブ7度受賞。2015 年に現役引退と同時に巨人軍第18代監督に就任。18年から特別顧問。

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